筆者プロフィール
こんにちは!だて りょうや(Twitter/@Tanojob)です!
ここでは僕の生い立ちから、現在に至るまで波乱万丈かつ涙と笑いに満ちた人生を語らせていただきます!
はっきり言ってこいつむっちゃアホやなー、バカやなーって思われるかもしれませんが、もう、すべて実話です。一切盛ってないし一切アレンジも加えてません(加えたいですw)
僕はマジで借金があって、嫁さんより給料が低くて、仕事ができなくて、ブラック企業に勤めていて、未来がブラックホール以上に真っ暗だった人生から、インターネットビジネスで副業を始め独立するまでに至りました。
今では会社員時代の5倍近くをコンスタントに稼ぎ、たまに企画をやったりして割と大きな収益があったりします。
本当会社員時代には頭はたかれたり「ぶっ●すぞ!お前!」と恫喝されたことも今となってはいい思い出です、嘘です。その上司を今ははりつけの刑にしたいと思っています(爆)
そんな僕のストーリーを是非笑いながら、共感しながら読んでみてください。きっとあなたのビジネスのヒントになること間違いないかと思います。
誕生から中学生まで
1986年4月22日に静岡県の浜松市で生まれました。
4000グラム以上のビックベイビーだったらしく母がお腹を痛めたおかげで僕の身長も182cmとかなりでかく育ったので、母には感謝しかありません(もうちょっと欲を言うなら男前に…笑)
幼少期はただひたすら牛乳を飲んでNHKを見てすぐに寝るという生活で、本当に僕はテレビっ子だったようですが現在では家にテレビがありますが殆どそれをつけることはありません、僕も大人になったということでしょうかw
生まれつき体が大きかったため、友達とじゃれ合っているときもついつい力が強くなってしまいよく友達に怒られたことを覚えていますね。
当時のことを振り返ってみるとあの頃は「人間に理解されないフランケンシュタイン」のような気持ちでいました、体も大きかったのでズバリ似ていたと思いますw
そんな訳で小学生ながら人との距離感がちょっとわからない子だったのかなぁと今になっては思います、当時はそんなこと全然思いもしませんでしたが。
子供は無邪気ですが、無邪気な中にもいろいろもがいてた部分があったのかと。
そんな訳でひたすら寝て起きるを繰り返し体だけ成長した僕は小学校でサッカーを始めるわけですがあまり上達せず、中学校に入って始めたバスケットボールにのめり込むようになっていきます。
暗黒の中学校時代
ブスすぎワロwww
僕の人生の中で一番暗黒だったと言えば中学校時代です、これはもう紛れもない真実。
マジで何も上手くいく事がありませんでした、僕は母子家庭だったのでお金もないし(母には育ててくれてめちゃくちゃ感謝とリスペクトしかありませんが)モテないし、ニキビだらけでコンプレックスの塊でした。
本当に何やっても上手く行かず、一見明るそうな僕の性格は作られた一面で実は家にこもってひたすら映画を見るのが至福のときでした。
つまりは闇に隠れていたという訳ですね。
今思うとあの頃に人格形成がなされていて何かとてつもない概念から見返してやる!というパワーを身に着けたんだと思います、もし仮に中学校の同窓会などに誘われても絶対に行かないでしょう。
もちろん仲いい奴らはいたんですけどね、本当に友達と呼べる中は数人です。あとは愛想笑いと、つまらないと言い出せない僕の根性の無さでなんとなく悶々とした日々を過ごすだけでした…。
更に言うと僕の両親は僕が中学生の頃に離婚してます。
今となっては仕方ないなと納得できますが当時の僕にしては結構衝撃でした、親が離婚する。親父がだんだん家に来なくなっていったんですよね。1日ごとだったのが2日になり、1週間になり、来なくなる…って流れでした。
別に僕はそれで両親を恨んでいるということは一切ありません。むしろ尊敬しています、僕を育ててくれて知識を与えてくれて感謝しかしていません。それでも僕の人生において大きなターニングポイントだったことは間違いありません。
ちなみに母子家庭は稼げない?って悩みを持った人も多かったのでこんな記事も書いてます、はっきり言って母子家庭でも関係ありません。むしろ母子家庭こそ稼ぐべきかと。僕はビジネスで稼いだ金で母さんに恩返しをしたりしましたが、本当に良かったです。喜んでました。
この記事で詳しく話してます、よかったらぜひ。
まぁそんな暗黒時代でしたが、もし当時の自分に一言投げかけるなら
「大人は楽しいぞ」
でしょうかね、友達も選べるしもっともっと広い世界で自分が好きな事に挑戦できる土壌がある。しかもそのチャレンジがやればやっただけ報われる。大人は本当に素晴らしい。
そんな大人の世界に一刻でも早く飛び込みたいと思って映画館に通う日々を過ごしておりました(陰キャだなぁwでも映画に救われたのも事実といえば事実なんよ)。その時に映画を見まくって人の胸を刺すストーリーとは?ということを学びました。
これが今の仕事にも生きてたりします、人生とは不思議なものですね。
次はちょっと明るい話、高校時代の話を。
死ぬほど楽しい高校時代
そんな中学校時代を過ごした僕ですが、逆に高校時代は友達に恵まれて本当に本当に楽しい日々を過ごしました。
部活がバスケットだったのでバスケットをやっているメンバーで楽しいことを毎日やって、部活は異例の日曜日休みだけど練習もしっかりやって、最終的には県ベスト8まで残ったという実績を出すことができました。
中学校生活が暗黒時代だったので高校は本当に死ぬほど楽しかったですね、工業高校だったのであまり女性との関わりは薄かったですが一緒になって悪さしたり、バカやったり、青春時代を過ごしてたのを鮮明に覚えています。
今でも友達とはずーっと仲がいいのですが、僕も今年33歳になるのでみんなは結婚して子供もいるためちょっと遊ぶ時間が少なくなってきました。でも浜松に帰れば一緒に遊んでくれる仲間がいる、いつでも待ってくれているというのはとっても嬉しいです。
でも、そんなめちゃくちゃ仲いい友達でも、一時期はちょっと疎遠になってしまったりしました。それは僕が起業をするってことでみんなに心配をかけてしまったからです。
当時の僕は29歳で会社員、自分の未来に希望はないと会社員をやめる気満々で行動してたのですが、みんなはそれを止めたりしてくれました。それは善意だったんだと理解できますが、僕も当時は自分のことで精一杯。
とにかく自分の考えがぶれないために、泣く泣く友人たちと距離をとってしまった時期があります。この辺は本当に難しい。自分の考え方も変わっていくし、付き合う人も変わっていく。そういった中で自分自身葛藤して、時に苛ついたりをしてしまいました。
今ではいい関係ですが、当時は仕方なかったのかな。とも思います、そんなメンタルじゃなかったら自分を保つことができなかったからですね…それぐらいに覚悟があったということです。
そして、専門学校では工業高校からファッション専門学校という、ハーレム状態に飛び込むことになります。
センスが無いけど頑張った服飾専門学校時代
僕は母親が娘が欲しかった影響からか、幼少期は女の子の格好をさせられていた事がありましたw
今となっては182cmのいかつい男なので、そのはからいは失敗したことが分かるのですが、その時育まれた洋服に対する愛情がぶり返して僕は服飾専門学校に進むことになります。
工業高校だったので本来だったら高校卒業後に地元の企業などに就職するのが普通なのですが、親に無理言って学校に通わせてもらうことになりました。母子家庭なのに高校まで行かせてくれた親には感謝しかありません、本当に感謝です。
服飾専門学校時代はとにかく洋服作りに没頭しました。
高校時代は勉強という勉強をあまりした覚えが無いので数学や国語などまるっきりダメダメでしたが、何かを作ったりするのには長けていました。
自分の手でゼロから洋服を作る工程はとっても楽しく、センスはあまり無かったですがとにかく色んな事を友達と議論して更には自分の好きなオリジナルの洋服を作って人前に出す。今までこんなクリエイティブな事をしたことが無かったので、本当に毎日ワクワクしながら学校に通っていました。
そのせいか高校時代は絶対に言われなかった親からの「今日はもう勉強やめたら?」という心配の声も聞けるようになりました、本当勉強の事で心配されるのは多分最初で最後のことだったんだろうと思いますw
そんな服飾専門学校での楽しい楽しい3年間が過ぎ去り、服飾専門学校出身という強みを生かしてアパレルの営業マンへと進みます…が…そこで理想と現実のギャップに叩きのめされることになるとは夢にも思いませんでした…。
死ぬほど辛いアパレル営業時代
人生で1番の暗黒時代が中学校だとすると、僕の人生においてこの時代は”無”の時代と言っても過言ではありません。
中学校ではどんなにやらかしたりしても怒られることはあまりありませんでしたが、このアパレル企業では上司にめちゃくちゃ怒られてお客さんに怒られて周りの人に迷惑をかけて、めちゃくちゃ謝るという記憶しかほぼありません。
アパレル企業では何をするかと言えばアパレル製品の企画製造です、つまりは”しま○ら”などに卸されている商品を僕の勤めていたアパレルメーカーが作っているという感じです。
トレンド商品なので毎日毎日が納期です、そして一週間ずれてしまえば季節もガラリと変わって途端に売れなくなってしまいます…なのでとにかく納期に合わせようと受注を取りながら作りながら、遅れながら怒られながら日々を過ごしていく…という訳ですね。
そして上司も目に光が無い人が殆どで
「この会社に居続けても未来は無いな」
と薄々気づき始めていました。
そりゃ朝7時に出社して夜10時に退社、週イチで東京か大阪出張、更には土日出勤たまにあり…で、めちゃくちゃ怒られる。だったらだれもやりたくないじゃないですか。
今思うと本当に奴隷のように働いてましたよ…たまに上司にぶっ殺すぞって言われたことがあります、今思えば録音してYoutubeにでもUPしてやりゃよかったと心から思います。あぁ。
そして、僕はその時今までお金の勉強などもこれっぽっちもしたことが無かったので、お金に対しても非常にルーズでした。お金に対する概念が欠落していたんですよね、正直。
お金を稼いでいる人はすべて悪いことをしている人と思ってました、マジで低いリテラシーです。もう本当にカス。お金に対する付き合い方を間違えると人生損してしまうので是非お金を稼ぐ=悪だと思っている方は気をつけたほうが良いです。
入社当時は会社も成長していたため「まぁなんとかなるっしょ」って感じでとにかくお金を使いまくっていたんですが、気づいた頃にはもう遅く会社が一気に傾きかけてボーナスもがくんと減った時に残ったものは僕のキャッシングでのローンのみでした。
サラリーマンでキャッシングでのローンを返済しようとすると毎月いくら捻出しないといけないのか?ってのを計算したことがありますか?
僕は当時50万近くキャッシングをしていたため数千円を返済に当てたとしても返済は利子のみで元本はまるまる残ってしまっているという状態でした。
このままではまずい…
ようやく事の重要性に気づき貯金を始めますが、サラリーマンの貯金はできて月に2~3万。とてもじゃないけど借金を返済するまでに時間がかかってしょうがない!という訳で新たな収入を得る方法を模索し始めます。
会社に内緒で副業スタート!
副業時代の家、壊滅的に汚いwww
ってな訳で、スーパーブラック企業&キャッシング生活からなんとかして抜け出すために会社に内緒で副業をスタートさせます。
当時の僕の知識では副業=アルバイトという概念しかなかったのでとりあえず会社に「親が体を壊した」という嘘をついて引っ越し屋でバイトを始めます。
しかし土日のどちらかを削られて1日にもらえるお金が8000円という上限のある収入ではそう長続きはしませんでした、平日は会社でブラック、土日もバイトでブラック…もう自分の精神は限界に達していました。
そんな時に出会ったのが転売です、僕は今までインターネットでお金を稼いだり自分自身で商売することを非常に悪いことをしているんじゃないかという情弱概念でずーっと敬遠してきましたが、本当にやばいと感じ藁をも掴む気持ちで転売の世界に足を踏み入れることとなります。
ただ、今思うと僕が立派だったのはしっかりとお金を払ってノウハウを教えてもらったということですね、金銭感覚がゆるゆるだったためそういった自己投資にお金を惜しまなかったので短期間で実績を出すこともできたんだと思います。
という訳で当時の物販の師匠にコンサルをしていただき、インターネット物販での副業を開始します。
当時は会社で10時まで働いていたのを9時には家につくように生活を変えて、家に帰ってすぐに仕入れを開始、夜中の1時2時から撮影、そして2時3時に発送してまた朝の7時には出勤するという超ハードワークをしていました。
もちろん不安で押しつぶされそうになってしまうこともありました「このままやり続けて利益が出なかったらどうしよう…」しかし師匠の指導の元やるべきことを一つづつこなしていったら少しづつでしたが実績を出すことができてきました。
1ヶ月目は5万、2ヶ月目は15万、そして3ヶ月経つと25万の利益を上げることができていました!
当時を振り返ると、もちろん肉体的には辛くて大変だったとは思いますが、精神的には非常に楽しく物販をやっていました。その理由としてはやっぱり現状会社に頼りっきりでお金を稼げない状態から自分の力で稼ぐ力を身につけるのが楽しくてしょうがなかったんだと思います。
失敗もたくさんしたし、無駄なことも沢山した、更には赤字も出したし、辛いこともありました…でも不思議とやめようとは思わずにコツコツとやり続ければ成果を出すことができるんだなーと実感したことが、自分の中で世の中に対する概念を変えてくれたんだと思います。
なのでこれを読んでくださっている皆様に伝えたいのは
マジで100円でもいいから自分で稼ぐと世界が変わるぜ
ってことですね、本当会社に頼らない収入はめちゃくちゃ自分を成長させてくれます!
独立起業した後、なんとか結婚
会社の給料よりも副業での収入が上回り、自分で稼いでいく実力もつけることができたので独立起業することにします。
当時の彼女(今の嫁さん)にプロポーズした後会社を辞めることを告げたので、嫁さんを泣かしてしまいましたが、嫁さんの
私は応援している
という言葉は今でも僕の糧になっています、何故ああいう時女性の一言は強いんだろうと思いますね、僕自身会社を辞めることに対して何も思わなかった訳ではありません。
不安の中で色んな葛藤がありましたが嫁さんの一言でそれが不安から確信に変わりました、嫁さんともども幸せになるためになんとか頑張らないかん!!
ってな訳で義理の父母には反対され婚約破棄になり、自分の親には泣かれて、僕のおばあちゃんは「あんたの好きな事やれば?」と時代を駆け抜けた人の言葉で労われて会社を辞めることとなりました。
そして独立して数ヶ月のうちはしっかりと義理の父母にも収支表を送って自分がどれだけの実績を出しているかを明確にしてきました。
その上でようやく結婚の許しを得ることができて、結婚しました。
キャッシングの返済表と睨み合っていた当時からは考えつかないような人生を歩み始めましたが、それもまた人生ですね。
もちろんサラリーマンが悪いわけではないし、僕もいい会社に勤めていたらそのまま幸せに仕事を続けることができたかもしれません、でも一生懸命自分の力でもがき続けた経験ってのは何事にも変えがたい自分の財産になったんだな?と思います。
なのでまずは副業でも何でもいいので人生を好転させたかったら行動することを第一に意識していくといいかと思います、結果はちゃんとついてきます…しっかりと実践していればですが。
起業して、会社を作り、とにかくチャレンジ
起業した後は本当に色んな事にチャレンジしてきまました。
それこそ今までに自己投資に何百万というお金を使ってきたこともありますし、新しい事業を開始してやっぱりダメと判断して撤退したことも何度もあります。
そしてしょうもない儲け話に乗っかって80万円ぐらいを騙し取られた経験もバッチリありますw
ただ、そんな事もすべて自分の財産にしてとにかく色んな事にチャレンジしてきました。具体的には下記の通り
- コンサルを開始して月収10万~300万プレイヤーまで多数排出した
- 物販以外にも情報発信を学びWEBマーケティングを身につけた
- アフィリエイトを学び収入の柱を更に作った
などなど…まぁ、簡単に言えばチャレンジこそが人生っしょ!って感じですね。
そして大切なことはチャレンジして失敗しても全然問題ないと世の中の認識が変わることだと思います。
会社辞めたって全然いいし、新しいことを始めたっていい、途中でやめてもいいし、続けてもいい。
全ては自分の責任でチャレンジし続ければ色んな面白い人が周りに集まってきますし、後々お金もついてくる!と確信しております。
だってその方が面白いじゃん!
って思いますけど、家族もいたら何の気なしに自分だけの勝手な判断で路頭に迷ってもいけません、なのでまずは稼ぐ力を身につける!これを前提として頑張っていけばいいのではないでしょうか。
そしてその方法は僕のブログにバチッと書いてありますので一つづつ実践してわからなかったら僕までメッセージをください、一緒にがんばるんですよコツコツコツコツ!!!
何者でもない人間が救われる時代!
こうして僕の歴史を振り返ると、特に大きな冒険も危機も無く平凡と言えば平凡な人生だなぁとも思いますw
ただ、それと同時に平凡でも情報発信をすることやWEBマーケティングをすることで自分の周りに自分を好きになってくれる人を集めて色んな面白い事ができたりします。
今は本当にそんな時代です。
そんな時代に生まれて、インターネットで自分を発信したり、インターネットでなにか新しいことをしないなんてもったいない!と僕は思うのですがどうでしょうか?
例えばブログアフィリエイトなんて失敗したってたかだか年間数千円のサーバー代金が無駄になるだけです、でもコツコツ続ければもっと他の新しい自分に出会えるかもしれません。
そんなチャンスが有るこの時代に生まれてチャレンジしないのは勿体無さすぎますよ!失敗は自分の人生のスキルを格段に上げてくれます。僕はみんなに失敗して欲しい、そんなことを思ってます。僕自身が失敗して成長することができたので。
…ということで気付いたでしょうか、僕がこれを読んでいるあなたを誘っていることを!!もちろん楽にお金が得られる訳ではありません、コツコツコツコツ淡々と積み重ねたのちに実績が積みあがっていきます。
そして失敗は糧になります、と言ってもネットビジネスでの失敗なんてほぼありませんがwチャレンジして失敗して笑われるぐらいです。笑わせとけばいいんです、いつか見返せるんで。マジで。人の挑戦を笑うやつに未来はないと思っています、本気で。
どんなに素晴らしいプレイヤーも初めは小さな一歩から踏み出しています、本当に小さな小さなチャレンジ精神です。
おっしゃー!ってことで僕と一緒にがんばっていきましょう!!!!挑戦していきましょう!!!
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